10月 – 2011 – 犬の手帖

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― 2011.10.30

サバイバル・オブ・ザ・デッド感想

またまたゾンビ映画の感想。

前回、ショーン・オブ・ザ・デッドの感想を載せたが、あの監督・脚本のエドガー・ライトと主演・脚本のサイモン・ペグは、「ゾンビ」を映画的に定義付けしたジョージ・A・ロメロの大ファンで、それが高じて「ショーン」を撮った挙句に本国イギリスで大ヒット。ロメロも絶賛し、(ほんとか分からんが。)20年ぶりの監督作品でショーンの翌年に公開された「ランド・オブ・ザ・デッド」に2人をゾンビ役でカメオ出演させたという話がある。

で、今回はその“映画としてのゾンビ”を誕生させた巨匠、ジョージ・A・ロメロの作品「サバイバル・オブ・ザ・デッド」を。

この作品は先に話を出した「ランド・オブ・ザ・デッド」の前日譚(時系列的に)である、スピンオフ作品「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」の更にスピンオフになる作品で、自身の作品のスピンオフを撮って、更にそのスピンオフを撮ったという、ほんとにこの説明で良いのか分からない作品である。(あ、ということは「ドーン・オブ・ザ・デッド」と「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」と大体同じ時間軸上に当たるのか。)

実際、「ダイアリー」に出てきたチョイ役だった元州兵たちのその後の話で、ゾンビ退治に疲れてどこかヤツラが居ない土地へ行きたいと、追い矧ぎしながら各地を転々としていた時に、ひょんなことから“安全”と喧伝する小さな島に行くことになったのだが・・・というお話。

ゾンビ映画で誤解されやすいのが、ゾンビ映画というのは残虐なシーンが多く、パニックムービーであるという点。

違うから。それは劣化コピーが生んだ誤解である。

“ゾンビ”と“ロメロ”を有名にしたのは「ゾンビ(原題:ドーン・オブ・ザ・デッド)」であるが、更にその前に制作された、初のゾンビ作品である「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」から一貫してロメロは、残虐なだけのパニックムービーは撮ってない。確かに人が食べられるシーンもあるが、物凄く貪り食われるのは1作品につき大体お約束での1回だけで、それは“異常な極限状態”を示すためのシーンであり、中心として描かれるのはあくまで“その状況に置かれた人間”ドラマである。
そこには自分のことしか考えていない奴もいるし、それでも人のために行動を起こす奴もいる。人間が作り出す群像劇が中心だからこそ面白い。“ゾンビ”はあくまで状況を作り上げる為の要素でしかない。

「サバイバル・オブ・ザ・デッド」も然り。人間同士の見栄やら、小さい争いで破滅してゆく人々を皮肉っぽく描いた映画である。生き残る人間は、傍観者であり、人の振り見て我が振りを考えられる人のみである。

70歳を迎えても、なお一貫してロメロ変わらずを示した「サバイバル・オブ・ザ・デッド」。確かに“気持ち悪い”はあるかもしれないが、見ればそれだけではないのが分かるはず。ちょっとでも耐性のある方でご覧になったことのない方、一度ご覧になっては如何でしょう。

― 2011.10.22

ショーン・オブ・ザ・デッド & ミック・マック 感想

久々にTSUTAYAで2本DVDを借りました。前から見たかった「ショーン・オブ・ザ・デッド」とJ・P・ジュネの「ミック・マック」。感想でもしたためようと思います。

ショーン・オブ・ザ・デッド
「ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン-」のスタッフたちの作品だったみたい。この作品自体は前から見たかったが、知らずに先にホット・ファズ観ちゃったから、主演の2人と、冒頭のカメラのテンポで、あぁこの人達の映画だったのかぁと。ホット・ファズもおバカアクションで面白かったけど所々エグい描写があったのは、ショーンがあったからかと妙に納得。この作品はいわゆる“デッド(ロメロのゾンビの影響を受けた一連の映画)”系のホラーコメディだが、涙あり、風刺ありのしっかりしたエンターテインメントだった。伏線の使い方もコメディでも質の高い、かなりキレイな回収の仕方で、ロメロ設定であるところの「ゾンビの成長」もネタとして使っている。ジョージ・A・ロメロのゾンビ(原題:DONE OF THE DEAD)とならんで、ゾンビ映画の入口としてオススメしたい。 あ、いや間違えた。オススメ死体。

ミック・マック
ジャン・ピエール・ジュネの5作品目かな?(11/2追記:6作目、短編入れたら7作目でした。)デリカテッセンのころからみてるけど、エイリアン4までの色調を統一する作風をアメリで辞めたせいか、それまでのお伽話のような雰囲気でありながらも、どこか閉塞感を持った不思議な面白さがなくなって、代わりにお伽話色が強い、丸さのようなものが出てきた感じがあった。小道具や世界観、役者の濃さは変わらないので、ジュネの世界なのだけど、少し印象が薄まってしまった気がする。話も勧善懲悪もので、スッキリ感も あるし、メッセージ性もコメディらしく押し付けがましいまで行かないもので、事実楽にみれた。ただ、個人的にはやっぱり不思議な閉塞感がなく、小綺麗になってしまったことが、ちょっと寂しかった。

両方ともに、個人的には面白かったです。特に「ショーン・・・」は完成度が高く面白かった。また機会あれば映画の感想とか載せて行きたいと思います。

― 2011.10.21

ロボット

かなり微かな記憶で定かではないのだが、小さいときにロボット展を二子玉川の高島屋に見に行った覚えがある。もう誰と行ったかも思い出せない程、微かな記憶。(多分母だとは思うが。)展示されていたロボットも良く覚えていない。昭和の日本で生物学を研究していた西村真琴が開発した、東洋初のロボット「学天則」のような文字を書くロボットもいた気もするが、曖昧だ。

ただ、その中で一つだけ覚えているのが、買って貰った冊子(ということは、やはり母と行ったのか。)に載っていた、彼のSFの大家、アイザック・アジモフのロボット三原則だったりもする。

人に危害を加えない、従う、そして前二項に反さない範囲では自分を守る。

これについては、アジモフ自身が逆手に取った話を書いたり、他の作家のオマージュも沢山あるが、当時は本当に近い将来、この条件に則った、家の手伝いなんかをする人工知能の搭載された、コミュニケーションのとれるロボットが登場するものだと思っていた。

そんなことを、IBMが、人間の脳の構造をまねたコンピューターを開発中という記事を読んで思いだした。
ITメディア:IBM、5大学と提携し人間の脳のように機能するコンピュータを開発

因みに、西村博士の二男が2代目水戸黄門の俳優 西村晃で、荒俣宏 原作の「帝都物語」映画化の際、自身の父である西村博士を演じている。もちろん学天則も物語のキーを握る重要なファクターとして登場する。