またまたゾンビ映画の感想。
前回、ショーン・オブ・ザ・デッドの感想を載せたが、あの監督・脚本のエドガー・ライトと主演・脚本のサイモン・ペグは、「ゾンビ」を映画的に定義付けしたジョージ・A・ロメロの大ファンで、それが高じて「ショーン」を撮った挙句に本国イギリスで大ヒット。ロメロも絶賛し、(ほんとか分からんが。)20年ぶりの監督作品でショーンの翌年に公開された「ランド・オブ・ザ・デッド」に2人をゾンビ役でカメオ出演させたという話がある。
で、今回はその“映画としてのゾンビ”を誕生させた巨匠、ジョージ・A・ロメロの作品「サバイバル・オブ・ザ・デッド」を。
この作品は先に話を出した「ランド・オブ・ザ・デッド」の前日譚(時系列的に)である、スピンオフ作品「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」の更にスピンオフになる作品で、自身の作品のスピンオフを撮って、更にそのスピンオフを撮ったという、ほんとにこの説明で良いのか分からない作品である。(あ、ということは「ドーン・オブ・ザ・デッド」と「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」と大体同じ時間軸上に当たるのか。)
実際、「ダイアリー」に出てきたチョイ役だった元州兵たちのその後の話で、ゾンビ退治に疲れてどこかヤツラが居ない土地へ行きたいと、追い矧ぎしながら各地を転々としていた時に、ひょんなことから“安全”と喧伝する小さな島に行くことになったのだが・・・というお話。
ゾンビ映画で誤解されやすいのが、ゾンビ映画というのは残虐なシーンが多く、パニックムービーであるという点。
違うから。それは劣化コピーが生んだ誤解である。
“ゾンビ”と“ロメロ”を有名にしたのは「ゾンビ(原題:ドーン・オブ・ザ・デッド)」であるが、更にその前に制作された、初のゾンビ作品である「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」から一貫してロメロは、残虐なだけのパニックムービーは撮ってない。確かに人が食べられるシーンもあるが、物凄く貪り食われるのは1作品につき大体お約束での1回だけで、それは“異常な極限状態”を示すためのシーンであり、中心として描かれるのはあくまで“その状況に置かれた人間”ドラマである。
そこには自分のことしか考えていない奴もいるし、それでも人のために行動を起こす奴もいる。人間が作り出す群像劇が中心だからこそ面白い。“ゾンビ”はあくまで状況を作り上げる為の要素でしかない。
「サバイバル・オブ・ザ・デッド」も然り。人間同士の見栄やら、小さい争いで破滅してゆく人々を皮肉っぽく描いた映画である。生き残る人間は、傍観者であり、人の振り見て我が振りを考えられる人のみである。
70歳を迎えても、なお一貫してロメロ変わらずを示した「サバイバル・オブ・ザ・デッド」。確かに“気持ち悪い”はあるかもしれないが、見ればそれだけではないのが分かるはず。ちょっとでも耐性のある方でご覧になったことのない方、一度ご覧になっては如何でしょう。
― 2011.10.30
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あー、やっぱ見つかんなかったわ。ごめん。
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